休みといえば、1年のうちで盆と正月に3日間ほどあるくらいのものだった。
朝は早く、夜は1時か2時くらいまで起きて仕事する。
あたり前の毎日だった。
つらくないわけではなかったが、仕事というのはそんなものだと思っていたから、それに対して不満を持つということは、あまりなかった。
ただ、朝はあまりの眠さに、今月は給金をもらわなくていいから、あと2、3時間くらい寝かせてほしいと思うことは、よくあったものだが。
あの頃は、お役所や大企業はともかくとして、一般の中小企業や工場などでは、月に2回くらいしか休みはなかったのである。
まして、主人から住む場所と三度三度の食事を与えてもらっている私たちは、休みを云できる立場にはなかったのだった。
先輩の中には、「給金が安いのだから、昼間は公園で昼寝でもしていたらいいよ」という人もいたが、私はサボろうなどという気持ちは少しも起きなかった。
早く仕事を覚えて、人の何倍も売り上げの数字を上げ、独立することを認めてもらおうと考えていたのだ。
まったく息抜きもできない毎日だったというわけではないことは、もちろんである。
たとえば、1ヵ月に一度くらいの割合で、H歯科商店の主人が、銀座の三原橋の歌舞伎座近くにあった映画館に、ニュース映画を見せに連れていってくれたことなど、ほんとうに懐かしい思い出として記憶に残っている。
NHKでテレビの本放送が始まったのは、私かH歯科商店に入って半年以上が過ぎた昭和28年2月のことだが、当時はまだテレビ受像機1台が、クルマ1台を買うより高いという感覚だった。
もちろん、私のような丁稚小僧には、じっくりと街頭テレビを見るほどの時間の余裕はない(民放の開始は同年の8月末で、街頭テレビの前が黒山の人だかりとなったR道山とSープ兄弟の死闘は、翌29年2月の出来事である)。
そんなわけで、娯楽といえば映画くらいしかない時代だったから、月に一度のそのニュース映画を、ほんとうに楽しみにしていたものだった。
今でも覚えているのは、ある夏の日の夕方、その映画館からの帰りに、銀座の路上で売っていた小さなスイカ(というより、スイカを収穫したあと、もう一度、畑でできる「うらなり」というものだが)を、主人が1人に一個ずつ買ってくれたことである。
他人から見ればつまらないエピソードだろうが、10代後半という食べ盛りの年齢だったこともあって、そんなことでも、とりわけ記憶に残っているのかもしれない。
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